『「西宮町誌」第三篇 第十章 第二節 旧家』参照
『吉井氏は其の先鎌足の裔、藤原千晴に出づ。千晴の三男に信良あり。嘗て門前に井を掘鑿せしに、清水滾々として湧出したるにより、時人挙って吉井也とす。依って以て氏となす。安和二年(西暦969)左大臣源高明及橘繁延、藤原千晴等、源満中 藤原善時の讒謗する所となり、坐せられて各地に配流せらる。信良また遁れて攝津國西宮に蟄居す。翌年摂政藤原伊尹に愁訴し、許されて廣田南宮蛭児三社兼帯の社務職を承く。圓融院の勅許なりとす。系譜左の如し。』とし、1信良 から52良晃(現代) まで全員が記載されている。即ち、信良が西宮に移った経緯、そこでの吉井の姓の生れたいわれ、廣田神社等の神主になった事などが記されている。
以下、52代を転記す。
1信良 2良継 3信政 4良連 5良忠 6信常 7良通 8信之
9良治 10良重 11信俊 12朗信 13良高 14良邦 15信種 16良興 17信保
18良昌 19良澄 20信實 21良村 22信匡 23良玄 24信庸 25信豊 26信祐
27良惟 28良憲 29信憑 30信懿 31信宗 32良繁 33信行 34信貞 35良建
36良它 37良輝 38良孰 39信吉 40良衡 41良兼 42良重 43良次 44良政
45良信 46良行 47良知 48良足 49良明 50良顕 51良郷 52良晃
尚、「西宮町誌」は大正十五年発行で、その後の53は良地、54は良隆、55は良昭である。また、初代「信良」の信 又は良のいづれかを上に付してをり、40代以降は良ばかりになっている。傍系は、1良則 2良直 3良運(47良知の弟) 4良幹 5良秀(現代)とある。その後の6は良尚 7貞俊 8良英である。
『西宮の旧家中著聞するものを馬氏の諸家となす。即ち左の如し。』として、『辰馬氏、葛馬氏、八馬氏、乙馬氏(音馬氏とも)、六馬氏、小上馬氏、善茂馬氏、一馬氏、七馬氏、十馬氏、他人足馬氏(與三太郎馬氏)、與四郎馬氏、大黒馬氏、大徳馬氏、小唐馬氏』の十五家が存在していたとしている。この諸家は西宮神社の神幸の騎馬の供奉などの役に当たる家柄、又は西宮の宿場の役に関する家とも言われている。