西宮神社では、新しい年を迎えるにあたり、この一年間の本殿のほこりを落とす年末恒例の煤払い(すすはらい)を行います。
煤払いに先立ち午前十時から本殿で今年の無事安泰に感謝をする煤払祭を斎行したあと、神職が白衣袴にマスク姿で、 長さ約四mの笹竹の特製のはたきなどを用い、本殿内部をはじめ、ふだんは清められない天井近くの柱や壁などのほこりも落とします。
また、境内の各所では門松を立てたり、注連縄を替えたりと迎春準備が進められます。
当社の門前町では、古くより十日えびすの宵宮の九日の夜、各家の門口に立ててある門松の枝を逆さにつけかえ、 静かに神様をお迎えする風習がありました。昔の門松は、枝葉の着いた大きな斎竹に松を盛り添えて造られており、 通りがせまくなる程であったといわれております。この為、この夜えびす様が神馬にお乗りになって市中を巡行されるのに、 松の葉先があたっては大変、と云うことで、この様にしたと伝えられています。えびす様に対する氏子の優しい心を伝えるべく、 「逆さ門松(さかさかどまつ)」の伝統を復興し、参拝者をお迎えすることになっております。
当社の分霊社、三田市の西宮神社三田分社より七m程の若竹や松枝の奉納があり、 これを拝殿両側に建て、藁を巻き、松枝を約二mの高さから藁縄で括りさげて作ります。
元日午前零時、拝殿で初太鼓が打ち鳴らされますと賽銭箱の前で待っていた参拝者が一斉にお賽銭を投げ入れ、今年一年の平安と更なる発展を祈ります。招福御幣・御札・御守り・福銭・絵馬・御神像・干支土鈴や、おみくじ、 特に人気の「たいみくじ」などが各授与所で授与されます。
奉射事始祭 二日 午前十時
西宮市弓道協会の奉仕により、開運招福・商売繁盛を祈願して新春の奉射事始祭(ほうしゃことはじめさい)が斎行されます。
えびす様に弓術奉納を奉告する祭典を斎行したのち、西広場で悪霊払いの力があるとされる鏑矢が放たれ、
続いて会員により、次々と弓術の奉納が行われます。
この奉納行事は、平成七年に始められましたが、直後の阪神大震災により中断を余儀なくされ、
五年後の十二年に復活、現在まで続けられています。
百太夫神社祭 五日 午前十一時
「十日えびす」を前にした五日、人形遣い達の祖神、百太夫神を祭る境内末社・百太夫神社(ひゃくだゆう じんじゃ)で、 百太夫神社祭が執り行われます。えびす様の信仰が今日のように全国に広まったのは、室町時代以降西宮の散所村(現・西宮市産所町)に住んでいた人形遣い達が、えびす様のご神徳を人形操りに託して全国を廻った事が大きな要因の一つと考えられています。
この人形遣い達は、江戸時代になると西宮を離れ淡路島に移ってしまい、 現在は国の重要無形民俗文化財に指定されている淡路島の人形浄瑠璃や大阪の文楽となったと言われています。
百太夫神社は、元々散所村にありましたが、天保十年(一八三九)に境内に遷座しました。現在、跡地(産所町、えべっさん筋)には記念碑と百太夫の銅像が建っています。
例年、祭典に引き続き関係の深い淡路島や阿波からえびす舞を伝える団体が参拝し、 御祝儀舞、三番叟・えびす舞などの人形廻しを奉納します。
一月十日を中心に九日から十一日までの三日間行われる「十日えびす」は、阪神間における最大の祭典として広く全国に知られ、百万人を越える参拝者で賑わいます。
十日えびすの準備は一月八日に卸売市場の若者の威勢のよい掛け声とともに奉納される大マグロで整います。
九日の「宵えびす」には、有馬温泉の芸妓さんによる「献湯式(けんとうしき)」、 「宵宮祭(よいみやさい)」が行われ、深夜十二時にすべての神門が閉ざされ「居籠(いごも)り」に入ります。
居籠とは既に鎌倉時代の古記録にも残されており、大祭を行う前に身を清め、静寂の時を過す時間を持つことで、 十日午前四時の「十日えびす大祭」を厳粛裡に執り行うことが出来ます。
大祭終了後の午前六時を期して表大門(赤門)を開き、恒例の「開門神事福男選び」を行います。
そして境内は十日の「本えびす」から十一日の「残り福」まで、福を求める参拝者であふれます。
一万二千坪に及ぶ境内や周辺に名物の吉兆店のほか露店など合せて約六百軒も軒を連ね賑います。
大鮪(おおまぐろ)奉納 八日 午前九時半
神戸市東部水産物卸売協同組合などの三社が商売繁盛と大漁を願って、 大ぶりで形のよい本マグロと雌雄二尾の大ダイを神前に奉納します(マグロは例年全長約三メートル、重量約三百キロ、お刺身約千六百人分)。
鮪・鯛の奉納は、昭和四十四年に神戸市東部中央卸売市場が開設されたのを機に水産物卸売協同組合が中心となって、大漁と商売繁盛を願い魚の奉納を計画、参拝者にも見てもらうために日本人好みで大きな魚ということで、翌年四十五年の十日えびすから鮪と鯛を奉納。鮪はその大きさのために本殿のお供えすることができず、拝殿に置かれています。
神戸市東灘区深江浜の神戸市東部中央卸売市場を出発しトラックに乗せられた大マグロは、約十五分で神社本殿前に到着、 揃いのハッピ姿の組合員の手により、勢よく献備台に移された後、お祓いを受けます。
奉納された大マグロは、「十日えびす」の三日間「招福大まぐろ」として拝殿に飾られますが、近年このマグロの頭や背中などに賽銭を張り付け、商売繁盛や豊漁等の願を掛けるのが常例となり、
毎年数万枚の貨幣が張り付けられた「招福大まぐろ」は、西宮神社十日えびすの名物の一つとなっています。
有馬温泉 献湯式 九日 午後二時
日本最古の名湯として知られる有馬温泉から金泉(きんせん)が奉納され、有馬温泉の繁栄と旅館組合の商売繁盛が祈願されます。
この奉納行事は、有馬温泉観光協会が平成七年から行なっているもので、白丁(はくちょう)姿の観光協会青年部員、和服姿の旅館組合代表を先頭に、湯もみ太鼓、有馬温泉の芸妓さんら約五十名が列を整えて本殿に参進、神職のお祓いを受けた後、拝殿において有馬温泉から角樽(つのだる)に入れて運ばれてきた金泉を桶に移し、湯女(ゆな)にふんした芸妓さんが湯もみ太鼓のはやしに合わせてお湯を適温にさます「湯もみ」を披露します。
湯もみされたお湯は再び角樽に移され、湯文と共にえびす様のご神前にお供えをされます。
十日えびす大祭 十日 午前四時
本えびすの十日、総ての門が閉ざされた中で、神職は居籠りし、早暁四時の大祭に備えます。
この忌籠とは、祭典を行う前に身体を清め、静寂の時を過ごすもので、古く室町時代の記録にも残されています。
この十日えびす大祭も古代の日本の祭典の形を伝えるもので、暁前に行なう祭りも数少なくなってきております。
開門神事(かいもんしんじ)福男(ふくおとこ)選び 十日 午前六時
十日えびす大祭が終了すると、午前六時を期して表大門(おもてだいもん)が開かれ、外で待っていた参拝者は、一番福を目指して二百三十m離れた本殿へ「走り参り」をします。これを「開門神事」といい、西宮えびす独特の行事として、江戸時代頃から自然発生的に起こってきたといわれています。
本殿へ早く到着した順に一番から三番までがその年の「福 男」として認定され、「福 男」には、認定証・御神像・副賞そして特別の半被が授与されます。
認定証は宮司より、特製法被と副賞は淡路島のえびす浄瑠璃人形より福男に手渡します。
福男認証式に引き続き福男三人による鏡開きが行なわれ、参拝者に御神酒が振舞われます。
また先着五千名の参拝者には「開門神事参拝之証」を無料授与します。
開門神事・福男の副賞
一番福・えびす様の御木像(大)、えべっさんの酒菰樽、えべっさんの米1俵、半被
二番福・えびす様の御木像(小)、えべっさんの米1俵(60kg)、半被
三番福・えびす様の御金像、八喜鯛(焼き鯛)、半被
西宮神社の「十日えびす」が行われる九日から十一日の三日間、西宮警察署は混雑が予想される同神社周辺で交通規制を実施すると共に、公共交通機関が臨時運行されます。交通規制は、期間中の午前九時から午後十一時まで、神社周辺の区域と、神社南側の市立浜脇中学校・浜脇小学校周辺の路線も車両通行止めの歩行者専用道路にするほか、 国道四三号戎前交差点から酒蔵通浜町交差点までの県道が南行一方通行になるなどの規制が行われます。
三日間で参拝者数は約百万人を上回るものと予想され、神社境内の駐車場は、十日えびすの期間中使用できないこともあり、参拝には阪神、阪急、JR等、公共交通機関の御利用を呼びかけています。
大正年間の「西宮町史」には「五月一日乃至七日 講社祭 太々神楽奉奏」とあり、その当時から様々な講社が神楽を奉納し祈願していた様子がわかる。
現在も「西宮郷醇友会」「八馬家」「大阪第一招福組」「日供講社」「西宮太々講社」「諸国講社」「本恵美須講社」が太々神楽を奉奏している。
ちなみに、大阪第一招福組の場合、平成二十二年は第百二十四回目を数えています。
このお祭りは、西宮神社の創建に関わる話から来ている大切な祭です。
昔々、今の西宮鳴尾の漁師が沖で漁をしていたところ、網に御神像が掛かったのですが、魚ではなかったので海に流して、今度は神戸の和田岬辺りで網を入れたところ、再び同じ御神像が掛りました。
これは恐れ多い事と思い、家に持ち帰りこれをお祀りしていたところ、ある晩「西の方に良き地があるのでそこに移りたい」との託宣があり、村人一同でえびす様の御神像を御輿に乗せて出発しました。
途中で一休みされたえびす様は、居眠りをされてなかなかお目覚めになりません。
困った漁師は神様のお尻をひねってお起しして、さらに西へ進み、今の西宮神社の地に落着かれたといわれています。
この一休みされた場所は、古くは四条辻と言い、札場筋と国道四十三号線の交差点脇にあり、御輿屋跡地と言い、六月十四日午後、本社よりえびす様をここに神輿でお遷しし御輿屋祭りを執り行い、 再び御本社へ御帰り戴き、当時の有様を再現する行事を行います。此の事は、元亀二年(一五七一)の『西宮殿年中御神事』の中に「五月十四日晩御戎四条辻御幸」とあり、この時代には既に行われていたようです。
午後二時、本社において神幸発輿祭が執り行われ、枇杷(びわ)で飾り付けをした神輿にえびす様をお載せし、かつてえびす様をお祀りした鳴尾の漁師の子孫といわれる裃姿の中野亥之鷹さん、 ビワ籠を手にした浴衣姿の びわ娘、同じく浴衣姿の氏子総代の行列が御輿屋跡地へと向います。
午後三時、神輿が御輿屋跡地に到着、御輿屋祭りを斎行、神楽の奉納やびわ娘による参拝者へのビワの無料授与などが行われます。
そして一休みされたえびす様も午後九時頃、再び神輿で本社にお帰りになり、祭が終了します。
この日は故事に習い、参拝者が互いのお尻をひねってもよいという風習があったことから「尻ひねり祭り」とも、 また西宮ではこの日から浴衣を着初める習慣がある、ということで「ゆかた祭り」とも、旬の果物であるビワをお供えするところから「びわ祭り」とも呼ばれています。又、神社境内では午後三時から八時頃まで、縁日屋台やあそび場コーナー、露店などが出て、浴衣を着て参拝した子供 先着百名には縁日屋台の無料券が授かります。
阪神西宮駅、エビスタ西宮では、午後四時半ごろから、びわ娘が特製団扇を先着二百名に配布して、お祭りを盛上げる事になっています。
古来、宮中で年に二度、国の行事として行われてきた大祓も、特に六月晦日の大祓を、夏越の大祓と称して民間にも広く行われるようになってきました。元来は旧暦夏・六月を終えるにあたり、半年間に身に付いた けがれを祓い除け、心身を蘇らせる行事でありましたが、
現代の新暦では本格的な夏を迎えるに当り行うものとなっていて、全国の各神社で年々厳粛に執り行われています。
当社においても六月三十日、午後四時から拝殿前広場において、四百人余の氏子崇敬者参列のもと、神職が大祓の詞を奏上し、各々が人形(ひとがた)に息を吹きかけ身を撫で罪けがれを移し、
また切麻(きりぬさ)等でお祓いをして無病息災を祈ります。
夏越の大祓には、併せて茅の輪神事を行いますが、これは風土記逸文「備後国風土記」にある須佐之男命と蘇民将来との神話に出てくる茅の輪信仰から、大きな茅輪を建て神職、氏子参列者らが「唱え言葉」を唱えながらこれをくぐる「茅輪くぐり」を行います。
この茅輪は、地元西宮市山口町から刈り取った茅(ちがや)を神職らが直径約四mの大茅輪に作り上げたものです。
正月の十日えびすのちょうど半年後に当たる、七月十日の沖恵美酒(おきのえびす)神社、通称・荒戎(あらえびす)神社の例祭日を中心に「夏えびす」を開催します。
この荒戎神社は、元々当社の南に位置する荒戎町に祀られていましたが、明治五年に境内に遷されました。本殿にお祀りしてあるえびすさまの和魂(にぎみたま)に対し、力強さを前面に出された、えびすさまの荒魂(あらみたま)を祀る神社です。
七月七日の七夕の日には夕刻から神池でLED電球を使った天の川が出現します(天の川は十日、二十日にも行われます。)
九日(あらえびす宵宮)、十日(例祭)は夕刻より境内松林で、当社と縁の深いヱビスビールや近隣の飲食店の若手グループ「宮ん人(みやんちゅ)」の協力により「荒戎麦酒祭 エビス・ビールフェスタ」が開かれます。
参道には、多数の奉納提灯や近隣の子供達から寄せられた子供行燈、えびすさまや鯛をかたどったねぶたにも灯が入れられ、「子ども遊技屋台」も出店し、涼を誘う風鈴市も開催されます
二十日は本社の夏祭、えびす万燈籠が行われます。
西宮神社の夏祭りは、江戸時代末には始まっていたようです。石燈籠に明かりを灯すこともあったようですが、万燈籠として賑やかになったのは近年の事で、ことに蝋燭の灯りで光の回廊のように彩るようになったのは平成十五年頃からです。
午前十時の夏祭の後、拝殿前においては、湯立神楽(ゆたてかぐら)が行われます。「湯立神楽」とは、暑気払い・無病息災を祈願する神事で、巫女が熱湯の中に潜らせた笹で参拝者にしぶきをふりかけ、暑気・厄災を払います。古くは卜占の一種とされ、湯気の立ち込める中で神憑りして託宣を伺う神事でありましたが、後世には、湯に浄め祓う霊力があるとされ、神楽舞と結びついて、穢を祓う神事として発展しました。
午後六時からはえびす万燈籠点灯式が斎行されます。浴衣姿の参拝者が見守る中、境内三百三十基の石燈籠と約五千個のろうそくに御神火が次々と灯され、光の列を創ります。
また、「青森ねぶた」に登場するねぶたの作り方に倣い竹で骨組みし、和紙を張って色付けした「えべっさんのねぶた」や「鯛ねぶた」に光が灯り展示される他、近隣の子ども達によって描かれた絵を木の枠に貼り付けた「えびす行燈(あんどん)」も展示されます。
陽が沈み薄暗くなる中で、浮かび上がる幾千の光は、昼間の熱気ある神事とは好対照で、幻想的な風景で参拝者を楽しませます。
境内ではえびす様をデザインした涼しさ誘うえびす風鈴など各種の風鈴や特製うちわも販売されます。
また境内松林では、原笙会(はらしょうかい)によるあでやかな女人舞楽も奉奏されます。
同会は古に行われていたという女性舞楽の復興に力を注ぎ、国内だけでなく海外でも活動を広げています。
境外では阪神電鉄と西宮中央商店街により阪神西宮駅から西宮神社までの約五百mの参道一帯でも 「福あかり」「西宮まちあかりナイト」などが開催され、阪神西宮駅で配られたろうそくが、 神社駐車場で「福」の字の形に灯される他、阪神西宮駅エビスタスクエアでは「縁日コーナー」が開催されます。
境外末社の住吉神社は、ここから一キロメートルほど南の海岸近くにあります。
西宮の人、當舎屋金兵衛が築港の大事業を起こすに当り、文化二年(一八〇五)海上運輸、 漁労の安全繁栄を願い住吉の大神を勧請したとされています。七月三十一日は夏祭が行われ、船だんじりを子供らが引いて、西波止町近隣七町を回ります。
えびす様の総本社であります西宮神社では、毎年九月二十二日に当社で最も重要な祭典「例祭」が斎行され、二十一日の宵宮祭、二十三日の渡御祭を併せて『西宮まつり』と呼ばれています。
二十一日は午後五時より『宵宮祭』(よいみやまつり)が斎行され、午後六時からは境内西広場にて奉納演芸会が行われる他、氏子青年会が曳く地車も街を練り歩きます。
二十二日は午前十時より『例 祭』(れいさい)が厳粛のうちに斎行され、午後三時からは約三百人のお稚児さんによる『稚児行列』(ちごぎょうれつ)が神社から中央商店街を、かわいらしい衣装を着て歩く他、午後五時半からは地元の子供達が一生懸命作った約四十基の『子供みこし』も中央商店街、阪神西宮駅前を通り、街中を彩ります。
二十三日は『渡御祭』(とぎょさい)が斎行されます。この祭事は、昔西宮の鳴尾の漁師が、神戸和田岬の沖で漁をしていたところ、えびす様の御神像がかかったので持ち帰ってお祀りし、さらに今の西宮神社の地にお連れしたという、当社の古い御鎮座伝説に由来するものです。和田岬への神幸は当社の神事の中で最も賑やかな祭りとして受け継がれてきましたが、約四百年前、織田信長の時代に社領を失ったため廃絶してしまいました。その後は祭典のみが厳修されていました。
昭和二十九年からは、みこし行列が市内を巡行する渡御祭(陸渡御)が再興されましたが、平成七年の阪神大震災により中断。
平成十二年、震災からの復興のめどが立ち、みこし巡行を再興するに当たって「西宮まつり協議会」を結成し、 念願の海上渡御を再興し、西宮港内を周航しました。
平成二十一年は海上渡御祭再興十周年ということで、四百年前の古儀に倣い、全船団が神戸・和田岬まで参り、御旅所祭(おたびしょさい)を執り行いました。このことを、えびす様が海から御生れになった地へお連れすると言うことから、 「産宮参り」と古くより言い慣わしてきました。
平成二十二年は、午前十時、御本殿でえびす様をお御輿にお移しし、氏子四地区の内、当番の浜脇地区・前浜町にある辰馬本家酒造・白鹿本社工場構内にお旅所を設け、御旅所祭(おたびしょさい)を執り行い、宮司が祝詞を奏し、同地区の氏子の童女八人が神楽を奏しました。その後、車で新西宮ヨットハーバーへ移動、ここから海上渡御となり、御前浜沖にて海上の安全を祈る『かざまつり』を斎行し八乙女らが切麻(きりぬさ)で海上を御祓いした後、港内を周航し西宮神社に還御しました。
十月第一土曜日の午前、西宮市久保町にある宮水発祥の地記念碑前に於いて「にしのみや 宮水まつり」が行われます。
「宮水まつり」は、宮水への感謝と銘酒の産地である灘・西宮のお酒をもっと知ってもらおうと 西宮市内にある数社の日本酒製造会社が共同で平成元年からはじめたものです。
秋から始まる新酒の醸造を前に、全国銘水百選にも選ばれ、酒づくりに最も適した水である「宮水」を、巫女姿の宮水娘が井戸から角樽に汲み出し、神前にお供えします。祭典に引き続き、雅楽を奏しながら、宮司以下祭員、えびす様に扮した酒造会社の人、宮水娘、時代装束を身につけた酒造会社の社員らが列を整え、宮水発祥の地記念碑前を出発、市内を巡行し西宮神社へ向います。本殿に到着後、「えべっさんの酒・醸造祈願祭」を斎行いたします。
宮水の入った酒造各社の角樽をお供えし、これから始まる酒造りの無事と出来栄えを祈願します。
午後からは、西宮神社境内を会場に、翌日曜日までの二日間にわたって、
「酒づくり唄」「新酒番船パレード」「一番酒御振る舞い」「交流物産フェア」等、「西宮酒ぐらルネサンスと食フェア」が開催されます。